沿革

1944年〜

戦火をくぐり抜けた20台のトラックと共に再スタートを誓う服部社長(初代社長)と従業員
1944年の会社設立後まもなく、大阪大空襲により複数回にわたり本社を焼失。当時350台以上保有していた貨物自動車もわずか20台程度しか残らないという壊滅的な被害を受けました。終戦後は戦後経済の混乱・停滞による大きな打撃を受けたものの、日本生命の資本参加等により経営基盤の安定化に努めました。
1944年 12月 大阪陸運局運送事業免許第一号会社として、大阪貨物自動車運輸株式会社を始めとする大阪市東区内の運送会社13社が統合し、資本金2,450千円で大阪東運送株式会社を設立
1947年 11月 経営基盤強化のため、日本生命保険相互会社が資本参加

1955年〜

日本初の国産オートスタッカー(自動倉庫)を導入
トラック輸送の需要拡大や様々な新規事業への挑戦で、業績が急伸。1968年には、業界では前例のない「傭車制度」を導入し、外注体系を確立。最盛期には、委託する車輌が1ヶ月間で延べ1万台にも達しました。
1959年 5月 中部地区事業拡大のため、日貨運送有限会社(1964年8月 中部東運送株式会社に社名変更)買収
1968年 11月 倉庫業の許可を取得し、大阪府守口市で倉庫事業を開始
1977年 8月 大阪市東区(現在の中央区)で駐車場運営事業を開始
1979年 4月 東京営業所開設し、首都圏へ進出

1985年〜

日本で初めてビル内デリバリー事業を開始した東京オペラシティビル
首都圏進出を果たし、運送の枠を超えたサービス展開が加速。ドキュメントサービス、ビル内デリバリーなどの総務系物流事業が急速に成長していきました。さらに、早くから環境保全・CSRに主眼を置いたエコビジネスにも着目し、全国規模で静脈物流の企画~運用を実施できる体制を構築しました。
1985年 8月 ヒガシ運送サービス株式会社に社名変更
1988年 7月 埼玉県戸田市でヒガシトランクルームを開設し、ドキュメントサービスを開始
1989年 4月 産業廃棄物収集運搬業許可を取得
1994年 5月 現在地(大阪市中央区内久宝寺町3-1-9)に本社移転
1994年 12月 滋賀営業所の大型倉庫が保税蔵置場許可を取得。通関業務を開始
1996年 12月 東京オペラシティでビル内デリバリー事業を開始
2000年 11月 茨木営業所、守口倉庫、寝屋川配送センターでISO9001の認証を取得

2002年〜

2011年9月 東京証券取引所市場第二部に上場
上場を目指し、社名を変更。2005年 3月にジャスダック証券取引所に株式を上場。2011年 9月に東京証券取引所市場第二部に上場を果たしました。
2002年 2月 株式会社ヒガシトゥエンティワンに社名変更
2003年 7月 介護支援事業者(福祉用具貸与事業者)に福祉用具レンタル及び販売事業を開始
2003年 10月 中部東運送株式会社(資本金2,000万円)を吸収合併
2005年 3月 ジャスダック証券取引所に株式を上場
2006年 6月 プライバシーマークを取得
2011年 9月 東京証券取引所市場第二部に上場

2016年〜

事故・危険運転ゼロの願いをのせて走るこどもミュージアムトラック
グループ経営の最適化を目的に、シナジー効果の高いM&Aや戦略事業の分社化を積極的に実施。経営の独自性と機能性を確保し、グループの総合力向上に努めています。また、安全・安心な社会の実現に向け、ESG経営の推進にも一層注力しています。
2016年 1月 ユートランスシステム株式会社をグループ会社化
2017年 7月 株式会社イシカワコーポレーションをグループ会社化
2017年 9月 株式会社トランスポート21を設立
2018年 4月 ビル内デリバリー事業を会社分割により、株式会社FMサポート21に承継
2019年 6月 指名委員会等設置会社へ移行
2020年 1月 株式会社ワールドコーポレーションをグループ会社化
2020年 10月 事務所移転引越事業を会社分割により、ヒガシオフィスサービス株式会社に承継
2022年 2月 山神運輸工業株式会社をグループ会社化
2022年 4月 東京証券取引所の市場区分見直しに伴い、スタンダード市場に上場
2022年 8月 株式会社旅人をグループ会社化
2024年 6月 株式会社ネオコンピタンスをグループ会社化